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白水道路改修記念碑を巡る経緯と尋ね人

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 明治から大正期にかけ、伊台と旧市街地を結ぶ道路で、荷車が通れるほどの道幅があったのは、梅組から湯山の食場町へ通じる(現在のバス路線とは別の道)一本しかありませんでした。

 祝谷方面へも是非!という住民の強い要望を受け、幾多の困難を乗り越えて実現したのが、瀬戸風峠よりも低い白水峠を抜けて祝谷へと通じる道路でした。

 推進中に、県道への昇格という追い風もありましたが、その実現のため、大正時代に住民への説得はもとより、県との交渉や、当時1,200円という多額の寄付金(現在では数千倍の価値とも言われる)を申し出るなど、多大な尽力をいただいたのが当時、松山市新町(現在の平和通四・五丁目)に住んでいた、豪商・玉井重太郎氏です。

 完工を記念しての石碑は、同氏が発起人となって建てられたもので、長年にわたり、県道に背を向ける形になっていたものを、『ウェルケア道後』の新築工事に伴い、同施設のご厚意により、「白水台バス停」横の所有地に移設していただき、日の目を見るようになりました。

 また、この記念碑の拓本を採るに当たっては、複数の人々を介して、病のために拓本の道具を既に処分されていた、S市在住の匿名希望の方に、無理を言って採っていただきました。

 以上のような経緯を経てこの拓本が出来上がったものですが、貴重な道路改修に、地区外の方がこれほどまでに力を入れてくださったのか、伊台とはどのようなご縁があるのか、『伊台村誌』等をひも解いてもいまだにわかりません。

 そこで、どなたか史実に関心のある方など、玉井重太郎氏その人やゆかりの方について、ご存知の方やお調べいただける方は、下記までご連絡をお願いします。

                                                  《参考文献:伊台村誌》

 

伊台地区まちづくり協議会

   E-mail idai2017@sgr.e-catv.ne.jp  

      事務所:松山市下伊台町1039-3  会長宅電話(白石)977-6420

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